「八乙女」の由来を調べてみました。
度々、記事にしている地名を調べてみたシリーズ。
以前はこのような地名を調べてきました↓
・「長命ヶ丘」の名前の由来を調べてみた。
・【いずプラクイズ部】泉区の名前の由来って何?
・「泉ビレジ(館)」の名前の由来を調べてみた。
さて、
調べてみると、
ざっとこのような流れになりました。
八乙女氏は、実沢の「八乙女館」に居城していた。
↓
国分家没落後に、伊達家に服属(服従して下につくこと)。
↓
その後、現在の八乙女駅の東に隠棲(世間から離れて静かに暮らすこと)。
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その地で、田畑、用水、堤を開発。
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1588年(天正16年)に伊達氏に旧領を保証される。そして、実沢に移り住む。
↓
八乙女氏の田畑、用水、堤を開発した功績により、氏の名を残した地名になった。
とのことです。
この看板と、
八乙女館〈仙台市HP〉を参考に書きました。
簡単説明すると、八乙女駅の東で八乙女氏が行った功績が
認められて、氏の名を残して、
その地が「八乙女」になったということですね。
結局は実沢に戻ってしまうみたい。
何となく不思議です。。。
これにて、
地名を調べてみたシリーズ「八乙女編」は終わりになります。
参考元:八乙女館〈仙台市HP〉